2011年3月2日水曜日

第3章 国民主権の原理

1 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従う事は、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

(1)前文:法律の最初に付され、その法律の目的や精神を述べる文章。憲法の場合には、憲法制定の由来、目的、憲法制定権者の決意などが表明される場合が多い。
(2)日本国憲法前文の意義
国民が憲法制定権力の保持者であることを宣言している。近代憲法に内在する価値・原理を確認している。
(3)内容
第1項は、前段で、国民主権の原理および、国民の憲法制定の意思(民主憲法性)の表明、人権と平和の二原理が憲法制定の目的であることを示し、後段で国民主権、それに基づく代表民主制の原理を宣言し、以上の原理が憲法改正によっても否定することができない旨を言明する。
第2項:平和主義への希求を示す
第3項:国際協調主義と国家主権の相対性を示し、国家の独善性を否定する
第4項:日本国憲法の「崇高な理想と目的を達成すること」を誓約する
(4)法的性格
日本国憲法の前文も、本文とともに憲法典の一部を構成するものとして、本文と同じ法的性質(法規範性)を有する(通説)。したがって、本文と同様に憲法改正手続きによらなければ改正できない。
問1:前文は、具体的な裁判規範(裁判所で判決により執行することのできる条項)と言えるか?
<学説>
A説(通説・否定説)
・結論:裁判規範性は認められない。
・理由
①前文は憲法の理想・原則を抽象的に鮮明したものであって具体性を欠く
②前文の内容は本文の各条項に具体化されているので、前文がそれらの解釈基準になりうるとしても、裁判所において実際の判断基準としても散られるのは本文の具体的規定である。
B説(有力説・肯定説)
・結論:裁判規範性が認められる
・理由
①本文にも前文に勝るとも劣らぬ抽象的な規定があり、前文と本文の規定との抽象性の相違は相対的なものにとどまる。
②比較法的にも、フランス第五共和制憲法の簡単かつ抽象的な前文が、裁判規範としての役割をもたらしている。
問2:「平和的生存権」の侵害を理由として裁判所にその救済を求められるか
<学説>
A説(否定説)
・結論:裁判所による救済は認められない
・理由
①前文のいわゆる「平和的生存権」は、憲法の理念を示すに過ぎず、主観的権利として国民が国家に対して直接何らかの行為を求める根拠とはなりえない。
②憲法第3章の人権のカタログの中に「平和的生存権」は挙げられていない。
・批判:平和的生存権の権利性を否定することは、そもそも平和が人権の問題であるとした憲法前文の画期的意義を没却するものである。
B説(肯定説)
・結論:裁判所による救済が認められる
・理由
①憲法前文は、法規範性を有すると解されるが、そうであれば、それは少なくとも本文の他の規定と相まって平和的生存権を導く一つの根拠となりうる。
②仮に前文から「平和的生存権」を直接引き出せないとしても、包括的な人権が保障されている13条を手掛かりに国民個人の平和的生存権が根拠ずけられうる。
③9条は、客観的な制度的保障の意味を有するが、その前提には主観的権利の保障が含まれる。

<重要判例>
★長沼事件(第1審・札幌地判昭和48.9.7、控訴審・札幌高判昭和51.8.5)
自衛隊のミサイル基地建設に関する、いわゆる長沼裁判で、平和的生存権(前文第2項)の裁判規範性が争われた。第一審は肯定説を取り注目されたが、控訴審は前文の法的性格は認めたものの、平和的生存権の裁判規範性については、否定説の立場を取っている。
→なお、最高裁判所が否定説・肯定説のいずれを取っているのか明確でないが、一般には、前文を具体的事件に直接適用せずに、解釈基準として援用するにとどまるものと解されている。



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2011年2月28日月曜日

2-4 日本国憲法の法源

法源は多義的な概念であるが、ここでは、もっとも一般的に用いられる「法の存在形式」という意味の法源を言う。

(1)成文法源
近代国家においては、成文法源がもっとのも重要な法源である。
成文法源としては、国の最高法規としての日本国憲法のほか、①法律(皇室典範、皇室経済法等)、②議員規則、③最高裁判所規則、④条約(日米安全保障条約、国際連合憲章など)、⑤条例(公安条例、青少年保護条例など)がある。
(2)不文法源
有権解釈(国会、内閣などの最高権威を有する機関が行った解釈)によって現に国民を拘束している憲法制度から不文法源が形成される。憲法習慣(または憲法慣習法)と呼ばれているものがそれである。判例も不文法源として重要であるが、ここでは憲法慣習について述べる。
(a)憲法も「生ける法」であるから、時代の変化に対応するために慣例ないし慣習と言われるものが成立する。この慣習は、①長期間にわたって反復・継続され、②普遍かつ明確な意味を有し、③それに一種の規範としての価値を認める国民の合意(規範意識)が存在する、という要件が満たされると、イギリス法による習律とほぼ同じ性格をもつものになる。
ただ、習律は、国会・内閣を政治的に拘束するが、裁判所は拘束しない。よって、法を変更したり、法の部分を構成するものではない。
(b)憲法慣習には、①憲法に基づきその本来の意味を発展させる慣習、②憲法上の明文の規定が存在しない場合にその空白を埋める慣習、③憲法規範に明らかに違反する慣習、という3つの類型がある。

・問1 ③の憲法規範に明らかに違反する慣習にそれと矛盾する憲法規範を改廃する法的硬直を認めることはできるか(規範に真正面から反するような現実が生じ、それが一定の段階に達した時、規範を改正したのと同じような法的効果を生ずると解することができるかどうか、という意味の憲法の変遷の問題でもある)。

<学説>
A説(通説)
・結論:できない。
・理由:憲法規範を改廃する効力まで認めることは硬性憲法の原則に反する(96条)



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2011年2月27日日曜日

2 日本国憲法の民定性

(1)上諭と前分の矛盾
日本国憲法は、その上諭によると、明治憲法の改正として成立したもの(欽定憲法)である。
しかし、前文は、国民が国民主権の原理に基づいて制定した民定憲法であると宣言してい
る。そこで、この矛盾をどのように解するか、特に、天皇主権を定める明治憲法を国民主権
の憲法へと改正することは、法的に許されないのではないか、という疑問が生じる。という
のは、憲法改正には一定の限界がああああり、憲法の基本原理を改正することは一種の
自殺行為であると考え、明治憲法に関しても、学説上、天皇主権や天皇が統治権を総覧す
るという「国体」の変革は法的に不可能であると考えられていたからである。
(2)8月革命説の内容
この点を説明する最も適切な学説として、次のような8月革命説を上げることができる。
(a)明治憲法73条の改正規定によって明治憲法の基本原理である天皇主権主義と真っ向
から対立する国民主権主義を定めることは、確かに法的には不可能である。
(b)ポツダム宣言は国民主権主義を取ることを要求しているので、ポツダム宣言を受諾した
段階で、明治憲法の天皇主権は否定されるとともに国民主権が成立したと解される。つ
まり、ポツダム宣言の受諾によって法的に一種の革命があったと見ることができる。
    (c)もっとも、この革命によって明治憲法が廃止された訳ではない。憲法の条文はそのまま
で、その意味が、新しい建前に抵触する限りで重要な変革を被ったと解されなければなら
ない。
(d)従って、日本国憲法は、実質的には、明治憲法の改正としてではなく、新たに成立した国
民主権主義に基づいて、国民が制定した民定憲法である。ただ、73条という改正という
手続きを取ることによって明治憲法との間に形式的な継続性を持たせることは、実際上
は便宜で適当であった。
(3)8月革命説批判
(a)ポツダム宣言を受諾したからと言って、直ちに天皇主権主義が崩壊し、国民主権主義が
確立したのではなく、ただ明治健保いを国民主権主義の憲法に改めることを日本が「債
務」として負ったにとどまる(帝国議会審理の段階における、国務大臣金森徳次郎の解
釈)。
(b)天皇が債務を履行するために改正の限界を破る改正案を帝国議会に提出し、審議の過
程で「日本国憲法」を制定するという主権者たる国民の意思が議会を通じて顕現した。

3 日本国憲法無効論とその批判
(1)日本国憲法無効論
・①説→現行憲法は、その制定手続と内容から見て無効であるとする説
・②説→現行憲法は、占領下では効力を有するとしても、占領終結によって失効すべきもの
であるとする説
・①説、②説の根拠→日本国憲法は、占領という異常事態の下で、しかも、占領軍の圧力に
屈して制定されたものであるから、国際法(ハーグ陸戦条約付属の陸戦規則43条)に反
する。
(2)批判
・ハーグ陸戦条約は、交戦中の占領軍にのみ適用され、我が国の場合は、交戦後の占領で
あり、原則としてその適用を受けない。
・仮に適用されるとしても、ポツダム宣言・降伏文書という休戦協定が成立しているので、「特
別法は一般法を破る」という原則に従い、休戦条約(特別法)が陸戦条約(一般法)よりも優
先的に適用される。

<参照条文>
ハーグ陸戦条約付属の陸戦規則43条
「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的支障なき限り、占領地の
現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保するため施しうべき一切の手
段を尽くすべし」




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2011年2月24日木曜日

2-3 日本国憲法の成立の法理

1 日本国憲法の自律性
(1)問題の所在
一国の憲法はその国の国民の自由意思に基づいて制定されなければならない。この原則に反して、ある国の憲法制定に他国が強圧的に介入する場合には、内政不干渉の原則、憲法の自主性・自律性の原則違反の問題が生じる。日本国憲法の場合には、前述のように制定過程に連合国総司令部からの強要的要素があったため、憲法自律性の原則に反しないかが問題となるのである。

(2)解決方法
・結論:憲法自律性の原則は、法的には、損なわれていなかったと解するのが妥当である。
・理由
(a)国際法的に見て
i ポツダム宣言は、連合国が日本に対して行った無条件降伏の一方的命令ではなく、不完全ながらも、連合国と日本の双方を拘束する一種の休戦条約の性格を有するものであると解される。
ii この休戦条約は、内容的には、国民主権の採用、基本的人権の確立など、明治憲法の改正の要求を含むものと解される。
iii 従って、連合国側には、日本側の憲法改正案がポツダム宣言に合致しないと判断した場合には、それを遵守することを日本に求める権利を持っていたと解することができる。
iv 条約の権利に基づいて、一定の限度で、一国の憲法の制定に関与することは、必ずしも内政不干渉の原則ないし憲法の自立性の原則に反するものではない。
(b)国内法的に見て
i 日本国憲法の自律性は、前述したように、ポツダム宣言の受諾・降伏文書の署名によって本来条件付きのものであった。
ii この条件の原則を定めたポツダム宣言では、日本国民の自由意思による国民主権の原理あるいは基本的人権の尊重の原理が定められていたが、それは近代憲法の一般原理であり、この原理に基づいて憲法を制定することは国家の近代化にとって必要不可欠であった。
iii 終戦直後の日本政府は、ポツダム宣言の歴史的意義を十分に理解することができず、自分の手で近代憲法をつくることができなかった。
iv これに反して、当時の在野の知識人の憲法草案や世論調査からすると、マッカーサー草案発表前後の時期には、かなり多くの国民が日本国憲法の価値体系に近い憲法意識を持っていたと言え、政府も、帝国議会における審議の段階では、マッカーサー草案の基本線を積極的に支持していた。
v 完全な普通選挙により憲法改正案を審議するための特別国会が国民によって直接選挙され、審議の自由に対する法的な拘束の無い状況の下で草案が審議され可決された。
vi 極東委員会からの指示で、憲法施行後改正の要否につき検討する機会を与えられながらも、政府は全く改正の要無しという態度を取った。
vii 日本国憲法が施行されて以来、憲法の基本原理が国民の間に定着してきているという社会的事実が広く認められる。



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2011年2月22日火曜日

2-2 日本国憲法の成立過程

(1)ポツダム宣言の受諾
1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾した。ポツダム宣言(12項)は、国民主権原理を採用することを要求していたと解されるから、明治憲法を改正しないままにしておくことは不可能であった。

(2)松本委員会の調査
1945年10月9日、幣原喜重郎内閣は、松本国務大臣を長とする憲法問題調査委員会(松本委員会)を発足させた。松本国務大臣は、①天皇が統治権を総覧するという原則には変更を加えない、②議会の議決を有する事項を拡大し、天皇の大権事項を削減する、③国務大臣の責任を国務の全般にわたるものとし、また国務大臣は議会に対して責任を負うものとする、④人民の権利・自由に対する保障を強化する、という4原則に基づいて改正作業を進めた。

(3)マッカーサー三原則
1946年2月1日、松本案の保守的な内容に驚いた総司令部は、独自の憲法草案を作成することにした。マッカーサーは、マッカーサー3原則(①天皇は国の元首の地位にあり、皇位の継承は、世襲とする。天皇の職務及び権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、国民の基本的意思に対して責任を負う。②戦争は放棄する。紛争解決の手段としての戦争と共に、及び自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。③日本の封建制度は、廃止される。皇族を除く華族の権利は、現在生存するもの一代以上には及ばない。華族の地位は、爾後どのような国民的または公民的な政治権力を含むものではない。予算の型は、英国制度にならう。)を憲法草案の中に入れることを幕僚に命じた。

(4)マッカーサー草案の提示
2月13日、完成したマッカーサー草案は、日本政府に手渡された。日本側は、突如として全く新しい草案を手渡され、それに沿った憲法改正を強く進言され大いに驚いたが、マッカーサー草案に基づいての本案を作成することに決定した。

(5)憲法改正草案要綱・憲法改正草案
3月2日、マッカーサー草案を日本語に翻訳するという形でまとめられ、その後3月2日に「憲法改正草案要綱」が決定され、国民に公表された。その後、4月17日に、その改正草案要綱を口語で文章化した「憲法改正草案」(内閣草案)が作成され、正式の大日本帝国憲法改正案となった。

(6)帝国議会の審議
内閣草案は、明治憲法73条の定める手続きにしたがい、衆議院・貴族院それぞれにおいて若干の修正がなされたが、圧倒的多数で可決され、枢密院の審議を経て、11月3日「日本国憲法」として公布された。1947年5月3から施行された。




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2011年2月20日日曜日

第2章 日本憲法史

2-1 明治憲法
1 特色
明治憲法は、立憲主義憲法とは言うものの、神権主義的な君主制の色彩が極めて強かった。
(1)万世一系の天皇による支配
(2)天皇大権中心の統治体系
(3)権利保護の不徹底

2 内容
(1)反民主的要素
(a)主権が天皇に存することを基本原理とし(1条)、その天皇の地位は天皇の祖先である神の意思に基づくとされた。
(b)天皇は、神の子孫として神格を有するとされた(3条)
(c)天皇は、立法・司法・行政など全ての国の作用を究極的に掌握し統括する権限を有するとされた(4条)
(d)皇室の事務に対する体験(天皇大権)のほか、栄典の授与に関する大権(特に軍の総帥に対する大権・11条)が一般国務から分離独立し、内閣・議会の関与が否定されていた。
(2)民主的要素
(a)権利・自由は保障されてはいた
しかし、それは人間が生まれながらにして持っている生来の自然権(人権)ではなく、天皇が臣民に恩恵として与えたもの(臣民権)であった。各権利は、「法律の留保」を伴うもの、つまり、「法律の範囲内」において保証されたにすぎなかった 。
(b)権力分立制は採用されてはいた
しかし、それぞれの機関は天皇の大権を翼賛する機関にすぎなかった(5条、55条、57条)
(c)法治主義の原則も採用されてはいた
しかし、それは形式的法治主義にとどまった
(d)議会は存在した
しかし、議会の権限は大きく制限されており(6条~9条、13条、14条、31条、66条~71条)、政府・軍部に対するコントロールの力は極めて弱く、また、公選に基づかない貴族院が衆議院と同等の権能を持っていた(例えば、38条~40条)
(e)大臣助言制が取られてはいた(55条)。しかし、内閣制度は憲法上の制度ではなく、特に、各国務大臣は天皇に対して責任を負うだけで、議会に対して責任は一切負わなかった。

(3)運用
明治憲法は、神権主義的な色彩の強い立憲君主制を基本としたものではあったが、自由主義的・立憲主義的な学説の影響や、政党の発達とともに、大正から昭和の初めにかけて「大正デモクラシー」が高揚し、政党政治が実現した。その結果、天皇制は、事実上、国務大臣の対議会責任に裏付けられた議会君主制として機能した。
しかし、その後、軍部の勢力が増大してファシズム化が進展して、天皇機関説事件などが起こり、明治憲法の立憲主義的側面は大きく後退した。



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2011年2月18日金曜日

(2) 立憲主義の現代的意義

(a)立憲主義と社会国家
立憲主義は、国家は国民生活にみだりに介入すべきではないという消極的な権力観を前提としている。そこで、国家による社会への積極的な介入を認める社会国家思想と矛盾するようにも思われる。しかし、立憲主義の本来の目的は、個人の権利・自由の保障にあるから、その目的を現実の生活において実現しようとする社会国家の思想とは基本的に一致する。この意味において、社会国家の思想と実質的法治国家思想(立憲主義)とは両立する。
戦後ドイツで用いられる「社会的法治国家」と言う概念は、この趣旨である。
国家権力が、国民にとって人権を制約する「敵対者」としてだけでなく、人権を保障する「支援者」としての役割をも担うようになったのは、「社会権」が憲法上保障されるようになったことと対応する。「社会権」は、人間の自由は生存の保証によって物質的に裏付けられない以上、絵にかいた餅に過ぎないとの考えから、いわば20世紀的自然権として憲法上保障されるようになったものである。
但し、人権の本質はあくまでも「国家からの自由」であり、この点を明確にしないで社会権を重視することは国家による干渉を過度に招く危険があることは忘れてはならない。自由国家が基本であり社会国家の思想はあくまでも補充的に検討されるべきである。

(b) 立憲主義と民主主義
立憲主義と民主主義も密接に結びついている。すなわち、
①国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加するという民主制度が必要である。よって、民主性が確立している体制においてはじめて自由の確保は現実化し,
②民主主義は、個人の尊重の原理を基礎とする。よって、全ての国民の自由と平等が確保されて初めて民主主義が開花する、という関係にある。
民主主義は、単に多数者支配の政治を意味するものではなく、実を伴った立憲主義でなくてはならない。自由と民主との結合は、近代憲法の発展と進化を支配する原則である。戦後の西洋型民主制国家が「民主的法治国家」とか「法治国家的民主性」と言われるのは、そのことを示している。
立憲民主主義とは人権保障を目的とした民主主義でしょう数者の人権にも配慮することを目的とする。自由と結合した民主主義と言ってもよい。そこでは審議・討論がなされることがその正当性の根拠になるため、十分な審議と手続きの保障が不可欠である。この立憲民主主義の観点からは81条はまさに民主主義に奉仕するものと言える。
多数決主義的民主主義は力の政治に結びつきやすい。人権保障とは必ずしも結び付かない。この立場からは81条は民主主義に反する規定と言う事になる。



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2011年2月17日木曜日

2 立憲主義

(1)立憲主義の展開
(a)近代以前
古典・古代ギリシャにおいて、すでに、政治権力をいくつかに分割し、それらの相互的な牽制によって権力の濫用を防止しようとする様々な試みがなされており、これらを古典的立憲主義と呼ぶことができる。しかし、古典的立憲主義は、中世における封建体制下において、また近代絶対主義国家における君主の圧倒的な支配の前に後退を余儀なくされた。
(b)市民革命期
市民階級の経済活動面における絶対君主制に対する不満と共に、ルネッサンス運動期に熟成された個としての自覚を媒介とする個人の自由という基本観念のもとに、国民の・自由権利と、そのための権力の公正と行使のあり方を、正式な文書において確認するという考え方が産まれた。すなわち、近代市民革命は、国家に対して個人の自由の領域の存在を設定し、国家はかかる私的領域の確保のためにこそ存在理由があり、したがって国家の活動もそのような目的のためのものに限定されると捉えるところに本質を持ち、そのための具体的方策として憲法の意義が明確に自覚されたのである。
(c)自由国家の時代(19世紀)~近代立憲主義の確立過程
立憲主義の思想は、近代市民革命を経て、19世紀の「自由国家」の下、近代憲法に実体化された。
自由・平等な個人の競争を通じて調和が実現されると考えられ、個人の自由意思に基づく経済活動が広く容認されていた。
権力を独占する強大な国家は、経済的干渉も政治的干渉も行わずに、社会の最小限度の秩序の維持と治安の確保という警察的任務のみを行うものとされた(その意味で、自由国家・消極国家・夜警国家などと呼ばれる)。
その確率過程は各国によって違いがあるが、イギリス、フランスは議会中心主義に対してアメリカでは議会に対する不信から厳格な権力分立の形で確立して行った。他方、ドイツや日本では19世紀後半になり上からの近代化の一環として憲法が制定され外見的立憲主義が展開した。
(d)自由国家から社会国家へ~近代立憲主義の現代的危機と現代立憲主義
自由国家を支える自由放任の論理は、資本主義の高度化に伴って、大きな矛盾を露呈した。すなわち、カーの「新しい社会」はその矛盾を、
①世襲的な利益によって新しい支配階級が創出され、各個人が平等の条件で平等にスタートする社会という観念が崩壊したこと、
②自由競争が存在しなくなり、競争し合う個人の代わりに独占的グループが登場したこと、であると説いている。
その結果、貧富の差が著しくなり、憲法の保障する自由が、社会的経済的弱者にとっては、貧乏の自由・空腹の自由でしかなくなった。そこで、このような状況を克服するため、国家が、従来市民の自由にゆだねられていた市民生活の領域に一定の限度まで積極的に介入し、社会的・経済的弱者の救済に向けて努力しなければならなくなった。こうして、19世紀の自由国家は、国家的な干渉と計画とを必要とする社会国家(積極国家ないし福祉国家とも呼ばれる)へと変貌することになり、行政権の役割が飛躍的に増大した。ドイツのワイマール憲法(1919年)はこの状況に対応して社会権を保障した最初の憲法であったが、社会矛盾の解決には不十分であった。そこでドイツは議会制の機能不全、社会的弱者の不満からナチズムの台頭を許してしまった。ドイツや日本における全体主義の台頭は近代立憲主義の現代的危機であった。ドイツや日本では近代立憲主義の思想的基盤が弱かったため全体主義を許してしまったと言えよう。なお、第二次大戦後の現代立憲主義の時代においては、各国とも社会国家、行政権の拡大により資本主義の矛盾を解決していった。また議会制の修復・維持が図れれている。

<社会国家・福祉国家>
社会国家(ドイツで用いられる)・福祉国家(イギリスで用いられる)の内容は必ずしも明確ではないが、およそ、国家が国民の福祉の増進を図ることを使命として、社会保障制度を整備し、完全雇用政策をはじめとする各種の経済政策を推進する国家である。



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2011年2月16日水曜日

1-5 立憲主義と法の支配

1 法の支配
(1) 法の支配の意義
・専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理。中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理である。
・「国王は何人の下にもあるべきではない。しかし、神と法の下にあるべきである」(ブラクトン)
<法の支配として重要なもの>
① 憲法の最高法規性の観念
② 権力によって犯されない個人の人権
③ 法の内容・手続きの公正を要求する適正手続き(dueprocess of law)
④権力の恣意的行使をコントロールする裁判所の役割に対する尊重
→アメリカ型の場合は特に違憲審査制

(2) 「法治主義との比較」
「法の支配」の原理と類似するものに、戦前のドイツの「法治主義」ないし「法治国家」の観念がある。この観念は、法によって権力を制限しようという点では、「法の支配」の原理と同じ原理を有する。
もっとも、戦後のドイツでも、ナチズムに対する反省から、法律の内容の正当性を要求し、不当な内容の法律を憲法に照らして排除するという違憲審査制が採用されるに至っているため(形式的法治国家から実質的法治国家への移行)、現在の法治主義は英米法に言う「法の支配」の原理とほぼ同じ意味をもつようになっている。

<ワイマール憲法について>
1 ワイマール憲法の成立
1914年に始まった第一次世界大戦は1918年にドイツが降伏して終了する。1917年にはロシア革命が起こり、ソビエトという社会主義国が成立していた。マルクスの母国であるドイツも社会主義に進むか、これを阻止するかが重要問題であった。結局、1919年8月14日、ドイツは国民主義と自由主義を掲げ、かつ、一連の社会歴条項(社会権と社会国家的公共の福祉)を採用したワイマール憲法を制定して、資本主義の枠内での社会国家化を目指した。
2 ワイマール憲法の崩壊
ヴェルサイユ条約の下でワイマール憲法は敗戦と外国の圧力によって押し付けられた屈辱的なものとして攻撃され、1929年に端を欲する世界恐慌の中でナチズム台頭の独裁を許してしまい崩壊して行った。
    経済の壊滅的混乱と失業者の増大の中で1930年議会の選挙が行われ、共産党は54議席から77議席に、ナチスは12議席から107議席に飛躍し、1932年の解散総選挙ではナチスは230議席で第一党となる。ヒンデンブルク大統領のもとで短命な弱体内閣が入れ替わって政権を担当していたが議会そのものが立法機能を果たすことができなくなって、1930年以来大統領の緊急命令による立法が常態化していたが、1933年に大統領はヒトラーを首相に任命した。ナチスはこうしてワイマール憲法の手続きにしたがって政権に就いたのである。その後、ヒトラーは1933年にはいわゆる授権法(民族およびライヒの困難を除去するための法律)が制定され、この法律は文字通りライヒ政府に法律制定の権限を与えるためのものであった。ここにワイマール議会制民主主義は崩壊した。
3 ワイマール議会制の崩壊
(1)制度的要因
① 完全比例代表制
これにより小政党の議会への登場が容易になり、共産党及びナチスと言う左右両極の政党の議会進出を可能にしてしまった。また、小党分立により議会が審議討論による立法機能を果たすことができなくなった。
② 大統領の強大な権限
大統領の直接公選制の下で大統領は首相任免権や緊急命令などの強い権限を持ち、議会制民主主義を崩壊させていった。
③ 憲法の敵にも自由を与える徹底した自由主義
憲法に反対する自由を与え、憲法と議会制を徹底的に攻撃することを可能にしてしまった。

★カール・シュミットとハンス・ケルゼンの論争
シュミットは徹底した議会制民主主義否定論者であった。議会制は民主主義と相反する制度であり、真の民主主義は、国民の歓喜と拍手喝采すなわちアクラマチオ(acclamatio)によって担われる独裁であることでナチスを擁護した。
これに対してケルゼンは現代の議会制は民主主義と不可分に結びつくとし、徹底的な議会制民主主義者擁護論者として憲法を守ろうとした。ケルゼンによれば議会制は自明の真理が発言すべき場ではなく、諸利害の妥協調整のための社会技術的制度なのである。根底には価値相対主義的な世界観がある。

(2) 現実社会的要因
①ドイツでは立憲主義の確立期を経ないで外見的立憲主義であったため、議会制民主主義が定着していなかった。そこへ共産党とナチスの両方から攻撃されてしまった。
②ビスマルク憲法下での法実証主義の思想の影響で、「法律でもお菓子得ない人権」の観念が根付いてなかった。

4 ワイマール憲法体制化への反省からのボン基本法の特徴
(1)比例代表制に対する歯止めとして5%条項
(2)大統領の権限の名目化
(3)憲法忠誠の思想(憲法に反対する自由を認めない)



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2011年2月14日月曜日

3 最高法規性

97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であってこれらの権利は、過去幾多の試練に耐え、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

98条1項  この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。

98条2項  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

(1)形式的最高法規性(98条)
(a)意義
・形式的効力の点で憲法が、国法秩序において最高位にあること。硬性憲法であることから理論上当然に派生する。
(b)国法秩序の段階構造
・国法秩序は、形式的効力の点で、憲法→法律→命令(政令、府省令等)→処分(判決を含む)という順序で、段階構造をなしていると解されている。この構造は、動態的には上位の方は下位の法によって具体化され、静態的には、下位の法は上位の法に有効性の根拠を持つ関係として説明される(ケルゼンの法段階説)。具体的には、上位の法に抵触する内容の下位の法の効力は否定される。

(2)実質敵最高法規性(97条)
・最高法規としての憲法の本質は、憲法が実質的に法律と異なる点に求められる。つまり、憲法が最高法規であるのは、その内容が、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する規範を中心として構成されているからである。これは、
①「自由の基礎法」であることが憲法の最高法規性の実質的根拠であること、
②この「実質的最高法規性」は、形式的最高法規性の基礎をなし、憲法の最高法規性を真に支えるものであること、を意味する。
・97条は、硬性憲法の建前(96条)、憲法の形式的最高法規性(98条)の実質的な根拠を明らかにした規定である。

(3)憲法規範の価値序列
憲法の実質的最高法規性を重視する立場は、憲法規範を一つの価値秩序と捉え、「個人の尊重の原理」とそれに基づく人権の体系を憲法の根本規範と考えることになる。したがって、憲法規範の価値序列を当然に認めることになる。



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2011年2月13日日曜日

1-4 憲法の特質

1 自由の基本法
(1)近代憲法は、何よりもまず、自由の基礎法である。自由は立憲主義の根本的な目的であり価値である。
・このような自由の観念は、自然権の思想に基づく。この自然権を実定化した人権規定が、憲法の中核を構成する「根本規範」であり、この規範を支える核心的価値が人間の人格不可侵の原則(個人の尊重、個人の尊厳の原理)である。
<根本規範>
一切の実定法の最上位にあってその妥当性(通用力)の根拠となる、実定法として定立された法規範。それは、憲法が下位の法令の根拠となり、その内容を規律するのと同じように、憲法の根拠となり、またその内容を規律するものである。ケルゼンの言う根本規範(思惟の上で前提とされた規範を指す)とはことなる。

(2)憲法には、通常、立法権・司法権・行政権、及び憲法改正手続き等についての規定が設けられる。これらの国家権力の組織を定める規範(組織規範)や、それぞれの機関に国家作用を授権する規範(授権規範)も、近代憲法に不可欠のものと言える。しかし、これらは、より基本的な規範である人権規範に奉仕するものとして存在するのである。

2 制限規範性
(1)憲法が自由の基礎法であると言う事は、同時にそれによって憲法が何よりも権力を制限する基礎法(制限規範)であることを意味する。
(2)憲法は授権規範である。そこで、授権規範であると言う事の中には、制限規範であると言う事も含めれているとして、制限規範性を、憲法規範の独立の性質として論ずる必要はないとする見解もある。しかし、制限とは、権力が「することができないこと」を明らかにすることであり、「すべきこと」「しなければならないこと」「してもよいこと」を示すこととは異なる。よって、授権と制限とは区別して考えるべきである。
(3)自然権思想と国民の憲法制定権力の思想の関係
本来近代憲法は、全て個人はたがいに平等な存在であり、生まれながら自然権を有するものであることを前提として、それを実定化するという形で制定された。その基礎には、全ての価値の根源は個人にあるという思想がある。したがって、政治権力の究極の根拠も個人に存しなくてはならない。よって、憲法を実定化する主体は国民であり、国民が憲法制定の保持者であると考えられた。このように、自然権思想と国民の憲法制定権力の思想とは、不可分の関係にある。
<憲法制定権力>
憲法をつくり、拳法上の諸機関に権限を付与する権力。制憲権とも言う。18世紀末の市民革命時、特にアメリカ・フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義を制定する推進力として大きな役割を演じた。
(4)自然権思想と主権原理の関係
国民の憲法制定権力は、実定憲法においては「国民主権」として制度化されることになるので、人権規定は、主権原理とも不可分の関係にあることになる。



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2011年2月12日土曜日

1-3 憲法の分類

1 伝統的分類
(1)憲法の形式・性質・制定主体による分類
(a)憲法の形式による分類
・成文憲法:成分の法典が存在するもの。
・不成文憲法:成分の法典が存在しないもの。
(b)憲法の性質による分類
・軟性憲法:改正が単純多数決で成立する通常の立法と同じもの。
・硬性憲法:改正が通常の立法より難しく、特別多数決(3分の2、ないし5分の3)、又はそれに加えて国民投票を要件としているもの。
(c)憲法の制定主体による分類
・欽定憲法:君主によって制定されるもの。
・民定憲法:国民によって制定されるもの。
・協約憲法:君主と国民の合意によって制定されるもの。
→形式・性質・制定主体による分類は、必ずしも現実の憲法のあり方を実際に反映するものではない。例えば、イギリスには、単一の成文憲法は無いが、実質的に憲法に当たる事項は多数の法律で定められており、基本的な事項は、実際には容易に改正されない。これに対し、(b)の分類で硬性の程度が強い憲法でも、実際にはしばしば改正される国もある。

(2)国家形態による分類
(a)君主制下、共和制かによる区分。
(b)大統領制か、議院内閣制かによる区分。
(c)連邦国家か、単一国家かによる区分。
→これらも、憲法の分類自体としては、大きな意味はない。例えば、イギリスでは、君主制でも民主政治が確立しているが、共和制でも政治が非民主的な国は少なくないし、また、大統領制や議院内閣制と言っても、色々な形態があるからである。
<君主制>
①絶対君主制
②立憲君主制:君主の権能に制限が加えられる君主制。君主は単独では好意しえず、大臣の助言に基づくことを要し、大臣は不完全ながら議会のコントロールに服する。ex.明治憲法の天皇制
③議会君主制:君主に助言をする大臣が議会に政治責任を負うもの。ex.現在のイギリスの君主制


2 機能的分類
憲法が現実の政治過程において実際に持つ機能に着目した分類。
かかる存在論的な分類には、主観的な判断が入る可能性がある点で問題もあるが、立憲的意味の憲法がどの程度現実の国家生活において妥当しているのかを図るうえで有用である。
ex.レーベンシュタインの3類型
①規範的憲法:政治権力が憲法規範に適応し、服従しており、憲法がしれに関係するもの全てによって遵守されている場合。
②名目的憲法:成文憲法典は存在するが、それが現実に規範性を発揮しないで名目的に過ぎない場合。
③意味論的憲法:憲法そのものは完全に適用されていても、実際には現実の権力保持者が自己の利益のためにだけに既存の政治権力の配分を定型化したにすぎない場合。独裁国家や発展途上国に見られる。



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2011年2月11日金曜日

2 立憲的憲法の特色

(1)淵源
(a)中世における法優位の思想ないし根本法の観念
・中世法優位の思想:絶対的な君主(国王)も従わなければならない高次の法(根本法)があるという考え。近代立憲主義は、中世法優位の思想ないし中世根本法の観念に由来する。
・もっとも、中世の根本法は、貴族の特権の用語を内容とする封建的性格の強いものであった。
(b)近代自然法ないし自然権の思想の影響
・ロック・ルソーに代表される近代啓蒙期の思想によって説かれた、自然権の思想は、
①人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、生来の権利(自然権)を持っている。
②その自然権を確実なものとするために社会契約を結び、政府に権力の行使を委任する。
③政府が権力を恣意的に行使して人民の権利を不当に制限する場合には、人民は政府に抵抗する権利を有する、とするものである。
・この、自然権→契約に基づく政府→抵抗権と言う三位一体の思想に基礎づけられて、中世の根本法は、広く国民の権利・自由の保障とそのための統治の基本原則を内容とする近代的な憲法へ発展した。
→このように、「統治に対する法的制限」とそれによる「権利自由の保障」を核心とする近代的意味の憲法は、中世の根本法思想から生成発展してきたものであり、その意味でこれを歴史的憲法概念と呼ぶことができる。

(2)立憲的憲法の形式と性質
(a)成文憲法
・立憲的憲法は、一般に、成文の形式を取る
・理由
①国家の根本的制度についての定めは文章化しておくべきである(成文法は慣習法に勝るという近代合理主義)。
②近代自然法学が説いた社会契約説の帰結
 <社会契約説>
国家は自由な国民の社会契約によって組織され、その社会契約を具体化したものが根本契約たる憲法であるという考え方。この見解では、契約である以上、文書の形にすることが望ましいと言う事になる。
(b)硬性憲法
・立憲的憲法は、その性質においては、硬性であるのが普通である。
・理由:社会契約説の影響による。つまり、社会契約説からは、憲法によってつくられた権力である立法権は根本法たる憲法を改正することができず(それは国民のみに許される)、立法権は憲法に拘束される。したがって、憲法改正は特別の特別の手続きによって行わなければならない、と考えられた。
→ただし、イギリスでは、憲法典は存在せず、実質的意味の憲法は憲法慣習を除き法律で定められているので、通常の立法手続きで改正できる(軟性憲法)。




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2011年2月10日木曜日

第1章 憲法と立憲主義

1-1 憲法とは

・「憲法」とは英仏語のconstitutionの訳語である。明治6年ごろから使われだしたと言われている。憲法という概念は、後で述べるように多義的に用いられるが、通常、国家と言う統治団体の存在を基礎づける基本法を言う。
・一定の限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力を持つ統治権の元に法的に組織されるようになった社会を国家と呼ぶ(国家三要素説)。
したがって、領土と人と権力は、国家の三要素と呼ばれる。
・国家概念については、社会学的に見るか、法学的に見るか、政治学的に見るかによって、著しく異なる。前述した領土と人と権力の三要素からなる、というのは、社会学的国家論である。
なお、憲法学では、国家権力ないし権力の組織体を国家と呼ぶことも多い(ex.人権は「国家からの自由」であると言う場合の「国家」)


1-2 憲法の意味

1 形式的意味の憲法と実質的意味の憲法
憲法を勉強するには、まず、憲法とは何かを明らかにする必要がある。

(1)形式的意味の憲法
憲法という名前で呼ばれる成文の法典(憲法典)。内容がどのようなものであるかは問わない。
ex.現代日本の「日本国憲法」

(2)実質的意味の憲法
ある特定の内容を持った法。成文であると否とを問わない。次の二つのものがある。
①固有の意味の憲法
国家の統治の基本を定めた法としての憲法。国家には、必ず政治権力とそれを行使する機関が存在しなければならない。この機関、権力の組織と作用及び相互の関係を規律する規範が固有の意味の憲法である。この意味の憲法はいかなる時代のいかなる国家にも存在する。
②立憲的意味の憲法
自由主義に基づいて定められた国家の基礎法。「近代的意味の憲法」とも言われる。18世紀末の近代市民革命期に主張された、専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障すると言う立憲主義の思想に基づく憲法である。この意味の憲法は、後述する通り歴史的な観念であり、その重要な狙いは、政治権力を制限して人権を保障することにある。憲法の最も優れた特徴は、立憲的意味にある。
ex.「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、全て憲法をもつものではない」(1789年フランス人権宣言16条)と言う時の「憲法」。
→憲法学の対象とする憲法とは、近代にいたって一定の政治的理念に基づいて制定された憲法 であり、国家権力を制限して国民の権利・自由を守ることを目的とする憲法(立憲的意味の憲法)である。




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2011年2月9日水曜日

憲法総論

第1章 憲法と立憲主義

憲法の勉強のスタートは、どの教科書を見ても私たちの基本書と同じように「憲法の意味」とか「立憲的意味の憲法」等という表題から始まっています。なんだかつまらない、早く条文解釈の方に進みたいと思う人もいるでしょう。逆に、このあたりを読み進んで「憲法の理念の素晴らしさに打たれて体が震えた」という人もいるかもしれませんが、中々そうはいかないものです。ですから基本書を読んでわからなくてもかまいません。「字」が読めることと著者が伝えようとする「内容」を「文章」を媒介にして理解することの違いを体験してもらえると思います。さて、ここで再び芦部先生の言葉を紹介しておきます。「憲法学Ⅰ 憲法総論」という本のはしがきには以下のように書かれています。
「最も重要なポイントは、憲法の本質が、内容は立憲的、形式は成文、性質は硬性であることを、歴史的・思想的なパースペクティブを持って統一的に理解することから、学習のスタートを切るべきではないかという事である。そういう憲法の意味、憲法規範の特質と構造を十分に検討しておくことが、具体的な人権問題を解釈する場合にも、統治機構に関する問題点を考察する場合にも、思考の前提となり、展開する論旨に支えとバックボーンを与え、深みを加えることに違いないと考えるからである。その意味で、・・・難しいと感ずる個所もあると思われるが、その筋道だけはぜひ理解してほしいと思う。
憲法はその新奥に達することの難しい学問である。それは、かつて清宮四郎先生が指摘された様に、憲法の規定の大部分は『長い歴史を経た後に、深遠な思想を背景とし、同じく深遠な原理に基づいて、その社会的基盤との関係や、存在の理由をとくと考察したうえで、制定されたもの』であるから、『これらの全てについて行き届いた検討を加えた上でなければ、その真意を掴むことはできない』からだ、と言えよう。・・・自然権、社会契約説、主権、立憲主義、法の支配、法治国家、権力分立、自由主義、民主主義、自由国家、社会国家等々の思想や原理の影響を受け、あるいはそれによって組み立てられている憲法の枠組みを、自己の視点としてよく捉えておかないと、ここの憲法問題の理解が深まらない、場合によるとピントはずれになる恐れもある」。
司法試験委員であり、憲法学者の第1人者であられる芦部先生も憲法の総論部分の重要性を上記の様に述べられています。そのような重要な部分であるということを先ずは認識してください。
ところで、先ずは憲法の意味と言う事から教科書は始まります。ここでは、「立憲的意味の憲法」・「立憲主義」という概念を正確に把握してください。立憲的意味の憲法と言う時には、ある特定の内容を持つ憲法を指しています。1798年のフランス人権宣言16条の「権利の保障が定かでなく、権力分立も定められていないような社会は、いずれも憲法をもつものとは言えない」という規定がこれを端的に表現しているとして有名です。



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